""In recognizing the humanity of our fellow beings, we pay ourselves the highest tribute." (Supreme Court opinion)"
彼らの物語
想像してみてください。ボルティモアの街を、一人の若者が歩いています。手持ちのお金はほとんどありません。学校の前を通りかかっても、肌の色を理由に、そこへ入ることは許されません。街のざわめきに路面電車の音が重なり、人種隔離の決まりが、目に見えない鉄格子のように行く手をふさいでいます。若者の名は、サーグッド・マーシャル。世の中は彼に、こう言い続けていました。「君の来るところじゃない」
人種によって分けられた教室で、彼は幼いころから、不正義がいつも大きな音を立てて現れるわけではないと知ります。ドアの貼り紙が静かに告げる拒絶。古くなり、ばらばらになりそうな教科書。自分で選ぶ前から決められているような将来。彼はもがき、つまずきます。生まれたときから力を持っていたわけではありません。彼の中にあったのは、一つの問いでした。どうして、これが当たり前でなくてはいけないんだろう。
やがて彼は、ハワード大学法科大学院へ進みます。重いプレッシャーのなか、自分の人生がかかっていると感じる日々。夜遅くまで勉強し、法学誌「ロー・レビュー」の編集に携わり、刃を研ぐように考える力を磨いていきます。けれど、鋭い刃を持っていても、手元が狂うことはあります。弁護士として人種隔離と闘い始めたころ、彼は裁判に負けることもありました。想像してみてください。法廷を出ても、法律はまだ自分の行く手をふさいでいる。みなさんなら、どうしますか。諦めますか。それとも、もっと深く考え、道を探しますか。
マーシャルは、険しいほうの道を選びます。準備には細部まで気を配り、ときには執念ともいえるほど打ち込むようになります。長い時間をかけ、れんがを一つずつ積むように主張を組み立てます。そして、あとに続く人たちのためにたいまつをともすように、若い弁護士たちを育てていきます。
そして1936年、物語が大きく動きます。彼はNAACPに加わり、書類、準備書面、証拠、証言、そして歴史そのものがせめぎ合う闘いの場へ踏み出します。その後、長年にわたって最高裁判所で弁論した事件は32件。32件です。その一つひとつが、彼が押し開けようとした扉でした。
1954年、映画ならクライマックスにあたる場面が訪れます。ブラウン対教育委員会裁判です。問われたことは単純でしたが、その答えがもたらす影響は計り知れません。学校で、子どもたちを人種によって分けてよいのか。マーシャルは最高裁判所に立ち、本来なら、わざわざ擁護する必要さえないはずの真実のために闘います。そして判決が下ると、学校での人種隔離が崩れ始めます。
のちに彼は、アフリカ系アメリカ人として初めて最高裁判所の判事になります。「君の来るところじゃない」から、「ここが君の居場所だ」へ。
彼は、その歩みの根にある思いを忘れませんでした。「ともに生きる人々を、一人の人間として認めること。それは、自分自身に最高の敬意を払うことでもあるのです」。彼の助言は、暗闇の中でも揺らがずに届く声のようです。「たとえ周りの支持を得られなくても、正しいことをしなさい」
学生のみなさん。もし世の中が、鍵のかかった扉を目の前に突きつけてきたら、どうしますか。その場を立ち去りますか。それとも、錠の仕組みを学び……自分で鍵をつくる人になりますか。
学生へのアドバイス
"たとえ周りの支持を得られなくても、正しいことをしなさい。"




